3日坊主

千葉県市川市、自宅の一室にてアロマサロンやってます。


オーラソーマやトラのお陰で、以前より落ち着いた日々を送っていた。
旦那との言い争いもかなり減った。
何が解決したわけでもない、自分の気持ちひとつで毎日が違う。


ある日、会社先輩の紹介で銀座の足ツボマッサージにいってみた。
足壺健香庵→ http://ashitsubo.jp/
中国式で、容赦ない。陣痛なんかよりひどく痛かった。
あぶら汗が沢山でた。
60分コース、終ったらぐったり、全身全く力が入らない。
あまり記憶もなく自宅に戻り、夜はチビとありえないくらいひたすら寝た。
翌日から、すこぶる心も身体も調子がいい。
「足つぼ最高!!!」虜になった。


これを習得できないだろうか・・・。ふと頭の中をよぎった。


HPでは「癒し」関係のものを探すようになっていた。
リフレクソロジー、アロマテラピー。

ある人のHPで『アロマテラピートリートメントモデル募集』のお知らせ。
1000円で60分やってもらえるらしい。
早速申し込みいってみた。
これが『アロマテラピーの学校』との出会い。
その人も通っていたスクール。
アロマテラピーの学校→ http://www.aroma.gr.jp/school/index.htm


<オーラソーマとの出会い>
チビの断乳も完了し、夜中眠れるようになった。
生活リズムも分かってきた。
職場も落ち着いてきた。

ただ、何か自分の心だけがギスギスしていた。
その原因は恐らく、自分の弟のこと(改めて書きます)、株式投資失敗のこと、解決策もなく毎日が過ぎていった。
相変わらず、旦那がいる日曜になると私が吹っかけたケンカで言い争いばかり、自分に起こるできごとの何もかもをとにかく全て悪く考えるようになっていた。
嬉しいとか楽しいとかという心からのワクワク感を感じることが出来ない。
気持ちがフリーズしてしまっていた。
どうにかしたかった。


職場の同僚おすずから「オーラソーマ」というカラーセラピーがあることを教わる。
彼女が、オーラソーマのスクールに通っていたのは知っていた。
昼休みに「105本の中のボトルから4本選んで・・」と早速リーティング開始。
最初に言われた言葉、「お父さんとこと、、、何か引きづってるかな」
突然溢れ出した涙をとめることは出来なかった。

父とは何度も衝突した。
口をきかなかったり無視しつづけた時期、いつもなにかしら問題が有った。
ようやく親孝行できると思った矢先、チビ誕生2ヶ月で亡くなってしまった。


私が選んだ4本のボトルから色んなメッセージを受け取ることが出来る。
自分の知らなかった部分、今まで抑圧していた部分、目には見えないけれど自分の人生に大きな影響を与えている部分にふれる。
自分が好きだと思う色、大切だと感じた色には、あらゆる情報が含まれる。
自分の心の状態や願望、更に身体の状態までも。


あまりの衝撃に自分もボトルのことが分かるようになりたいと思い立ち、彼女と同じスクールに通った。

エクリュ銀座→http://www.ecru-color.com/
オーラソーマレベル1  日曜全6回
素敵な先生に指導を受けた。
良い仲間もできた。



<トラとの出会い>

オーラソーマスクーリングのさなか、会社の同僚岩崎ちゃんから興味深い話しをきく。
「自分の前世とか守護霊さんって興味ありますよね~」
岩崎ちゃん自身が今度ある人にそういったことを見てもらうとの話。
HPを教えますといわれ、また自分も速攻予約した。

チビの誕生、父の死を経験し、「魂の循環」、「輪廻転生」、そういったことにすごく興味を持っていた。

一体自分は何者なのか、何のためにいきてるのか、死んだらどうなるのか。
「オーラの泉」は欠かさずみていたし、自分も江原さんにみてもらいたいとずっと思っていた。

高橋寅之助→http://www.tora-reikan.com/

予約当日、ドキドキしていた。
銀座松屋前で待ち合わせ、近くのルノアールへ。
オーラの色、前世、守護霊さん、自分の性格のこと、旦那、子供こと、弟のこと。
全て腑に落ちた。
心のもやもやが少し取れかかり、自然に前向きになろうと思えた。

いわゆる流行の「スピリチュアル」だが、また救われた気がした。



基本的に子供は大好きだ。
天真爛漫だしどんな子もかわいい。
我が子が産まれたらどんなに可愛いのだろう・・と想像しわくわくしていた。


しかし、出産してみて育児の現実は違った。
もちろん可愛い、でも生後間もない赤ちゃんといると正直煮詰まる。
完全母乳、すごい勢いでおっぱいも出た。
良く寝てくれていたほうだとも思う。
特別何の問題があるわけでもない。


なのに毎日が不安で仕方がなかった。
アクティブ派だった自分がずっと自宅にいる。
予定があるわけでもなく、ひたすら自宅にいる。期限もない。それだけで息が詰まりそうで毎日が苦しかった。
朝、駅に向かう人達が羨ましく思えた。


父が亡くなって3ヶ月が経ち、実家の色んなことが落ち着いてきた。
気が付いたら暑すぎた夏はいっきに秋めいていた。


04/11月「4ヶ月赤ちゃん講座」のご案内。
いってもたいしたことないんだろうなと思いながら期待せず行ってみた。
これが近所のママ達との一番最初の出会い。
出会えたことがとっても嬉しかったし、煮詰まっていた育児に希望が持てた。
正直ありがたかった。


それからチビ4ヶ月~10ヶ月になるまで、近所のママ・チビ達と一緒に遊ぶ毎日。
すごく良いママ達に囲まれ、毎日を楽しむことが出来た。
沢山助けられた、ここに住んでいて本当に良かったと思える。
チビが成長するにしたがって、自分の中で何か物足りなさと虚しさを少しづつ感じはじめた。


タイミングよく、出産直前まで働いていた職場の上司から声をかけてもらう。
それが05/5月、すぐ保育園申し込みをしたが「これから働く」「派遣社員」という実情、保育園は落選。
職場復帰が決まったのに預ける保育園がない。
必死で探した。
とりあえず見つけた、「一時保育園」という種類の保育園、週3くらいで預けられるらしい。面談に行き、すぐここに決定申し込みした。週4で何とかお願いし残りの1日は実母に預けた。


「慣らし保育」が始まった。
チビ10ヶ月、人見知りが始まるとき、毎日ひどく泣かれ
「本当にこれでいいのだろうか」と何度も悩んだ。
こんなに泣かせるなら諦めてしまおうかとも思った。
しかし沢山の人の励ましで何とか乗り切った。


めでたく職場復帰をしたものの、生活リズム作り、昼間の緊張、夕方のバタバタ、夜中の授乳、正直からだも心もへとへとになった。

旦那がいる日曜、いつも気持ちは荒れ狂っていた。
唯一発散出来る相手。
何かにつけて文句を言ってみたりしてた。
自分の考え方もかなりおかしくなっていたし、かなり鬱っぽかった。
今アロマを勉強し始めてわかるが、夜中熟睡できないこと、1歳児に授乳している関係でホルモンバランスが最悪だったに違いない。








頑なにさばちゃんを拒否していた両親が、出産を期にようやく会っていままでのことを和解した。

そしてチビが産まれて1ヶ月たったころに、父親の様子がおかしくなった。
会社はいってるがあんまり元気もなく、足が浮腫む、気付くとげっそり痩せている。
母が強行で病院に連れて行き、検査入院、医者が下したのは「余命半年」
父親本人も聞いていた。

我々子供達が帰ったあと、あんなにも頑固だった父が母に泣き崩れていたそう。
悲しすぎた。

生後1ヶ月のチビを連れ車で1時間程かかる病院に1日おきに通った。
とにかくチビを会わせて少しでも元気になってもらいたかった、自分も無我夢中だった。
父親の身体の調子が良いとき、ベッドの上の父親と一緒にチビを寝かせたことがあった。
いままで見たこともない優しい顔をしていたのを思い出す。

入院3週間がたち、容態急変、家族みんなが揃った中で安らかに眠っていった。
2004/9/17夜のことだった。
<妊娠>

結婚5年目くらいになったころか、そろそろ子供を・・と思い始めた。
自分はすぐ出来るものだとずっと思っていた。
ところが、なかなか出来ない。
排卵日を狙っても、生理がやってくる、焦ってきた。
産婦人科にもいってみた。
一応問題はないようだが半年をすぎたくらいに
『卵管造影』という検査をした。すごく痛かった。
どうやら卵管が通常より細いらしい。
基礎体温がさがってしまう朝を迎えるのが、ものすごく恐かったし悲しかったし毎月落ち込んで涙した。


このことは、ほとんどの人が知らない事実。
偽っていたし、やっぱり本当のことが言えなかった。


少し諦めかけたころに、基礎体温が高い日が続いていた。
まさかね、、、まさか。いやいや、またすぐ下がるから、と思っていると
40日がすぎた。検査薬を自分で試すと「陽性」、すぐ病院へ。
5週目、心拍はまだ確認できないのでまた来週くるようにとのこと。
翌週、6週目、流産気味、腰に注射を打たれる。心無い診察も悔しかった。
なんとしてでも赤ちゃんに頑張って欲しい。
やっと授かった命、ずっと祈りつづけた。


翌々週、別の病院にいった。
ほぼ諦めかけていったら、「心拍確認できましたよ」
私はぼろぼろに泣いた。
待合室で待っていたさばちゃんをすぐ呼んでもらいふたりで心拍を聞いた。


その後は無事比較的問題ない元気な妊婦生活、出産2週前まで会社勤務。
産婦人科先生は予定日より1週は延びるでしょうとの見解。
出産予定日に、さばちゃんの会社の展示会を見に行く。
今日が予定日というと皆に驚かれたが自分は全く出産気配なく、電車にのったり車にのったりと、かなりアクティブに過ごした。

<出産>

出産予定日がすぎ、眠った深夜、3:00AM破水。
さばちゃんが出張じゃなくて良かった。
車で病院へ向かう。
5:00AMすぎ生理痛のような痛み、「お、まさか?これが陣痛か?」と思っているとあっというまに息も吸えないくらいに激しい痛みになってきた。
9:25AM出産。3420g、男児、元気そうだ。
自分を産んでくれた母親を偉大だと思った瞬間。
大切に大切にしていこう、この命を。









さばちゃんとは大学2年(ちょうど20歳)から付き合いだした。
毎日がさらにきらきらと輝き始めた。
バイトで会えるときもあり、それ以外の時もできるだけ時間をつくって会っていた。

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<社会人~>

●1社目
新卒で入った食品商社。同族色が強かったのでかなり変わっていた。
新卒同期20人、よくまとまっていてすごく良いメンバーだった。
事務職1年、営業職(ルート)2年経験。
宇都宮9:00AMアポ、台東区にある会社から営業車を運転し、宇都宮のお客さんのところまで苦にもならず営業にいってた、若さってすごい。
3年ちょっといて「他の会社もみてみたい」と純粋に思い、退職。

●2社目
家庭用ゲームソフト・ハードを流通させるフランチャイザー会社。
日々激務に追われ毎日疲れていた。
ただ、PCが多少出来るようになったのはこの会社のおかげ。
毎日愚痴をいいながらも4年半頑張った。

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<結婚>

この2社目の途中で、さばちゃんと結婚。
といっても入籍だけ。
ほぼ駆け落ち。

学生時代から、結婚したとしてもいわゆる“式”というのは絶対やりたくないと思っていた。
自分が披露宴でアルバイトをし100組以上みてきたことや、この照れ照れ性格のため、自分が主役になることを恐ろしく嫌っていた。

母親は多分私をずっとそばにおいておきたかったんだと思う。
どんな人がきたって文句をいい続けただろう。
1-2年間、うちの親の合意を得ようとさばちゃんと2人頑張ったが、私は到底無理だと感じ、ある事件をきっかけに家を飛び出し、その後すぐに入籍してしまった。
親は泣いていた。最大の親不孝。
親を悲しませたこと、いまどきこんなことが有るのだろうか、そんな事実が恥ずかしくて人に本当のことを言えなかった。
葉書1枚、「入籍しました」とみんなへお知らせした。
葉書到着した日には2人の携帯が鳴り響いていた。おどけてみたりしたけど、色んな想いがあった。
ただ2人の生活がスタートしたことは何よりも嬉しかった。


その後、さばちゃんの高校時代からの親友4人がサプライズ挙式をセッティング、軽井沢にて6人の挙式。
感動した。
少し恥ずかしかったけど、心から感謝した。

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●3社目
正社員、2社目でひどく疲れてしまった。
働きたいという気持ちは常にあるので“派遣社員"でお気楽にやってみようと思った。
色々と面接してみて、せっかくなので面白そうなところにした。
いまいる会社だ。実質丸5年もいる。
裕福な会社なので、基本的に社員が温厚。
出産で一旦辞めたが、チビが10ヶ月のときにまた声をかけてもらい、短縮時間・特別なお休みを了承してもらい働かせてもらっている。
この居場所がなければ、間違いなく育児ノイローゼになっていただろう。






自分のことは意外と語りたくないほうだ。
いつも言葉は少ないほうだし、かなり足りないと自分でも思う。
亡くなった父にも「お前は何を考えているのか分からない!」と言われたほど。
語りたくない理由はあまり深い理由もないが単に照れ“恥ずかしい”だけだと思う。
ただ人のことを聞くのは興味があるし、大得意。

07/10月からは新たなスタートをきる。
その前に、いままでの自分の色々なことを整理し、正直に書いてみたいと思った。きっと何か区切りをつけてみたいのかもしれない。


<幼少期~小学生>

4人兄弟の3番目(唯一の女の子)として育ち、自分がしっかりしなければ!とか親に心配かけないように、、と常に「良い子」を目指していた。
女の子ひとりだから甘やかされたでしょう・・と人からは言われるが、むしろかなり厳しく育てられた。
貧しかったのもあり早く中学生になって新聞配達でもして早く自分でお金をかせぎたい~とずっと思っていた。
貧しいながらも兄弟とわいわいやりながら楽しくすごした。
ただ母親が本格的に働いてしまい少し寂しい気持ちもあったような。
小学6年の時は応援団長を経験。


<中学~大学>

中学は公立に、高校・大学は父親の関係で私立の学校にいかせてもらう。(授業料が免除だか割引だか)
中学はありがちな軟式テニスにあけくれ、成績は普通より良かった。

高校時代は、一言では語りつくせないが、全寮生の学校だったためかなり特殊だったがその分すごく良い思い出や大切な友達ができた。
ただ裕福な子が沢山いたため、自宅に戻れる季節の休みになると時給490円のセブンイレブンでバイトし、ともかく寮での小遣いに・・と必死で稼いだ。
大学へは特別推薦枠をとるべく、通常の成績だけを良くした。面接だけで12月に進路決定。そっからはひたすらバイト。

大学は高校時代縛られていた分とにかく「自由」を満喫する。
ひとことでいって楽しかった。
お金は自分で自由自在に面白いくらいかせげて授業も適当に聞いていればよし、時間をどう使おうか何して遊ぼうか、稼ぎが良いバイトはないかといつも考えていた。
学生の頃の稼ぎは今よりよっぽど良かったっけ。
母校に教育実習にいきたくて教職もとってみた。
大学2年のときに台湾留学4ヶ月というカリキュラムがあり、通常学費とは別に費用が必要になるため必要な70万を難なく稼いで留学に望んだ。
ただ、この4ヶ月だけはもう1回やり直してみたい心残りの部分。

そして大学3年、初めての失恋を経験。
悲劇のヒロイン並みに哀しかったし沢山泣いた。

しかし、その後すぐに今の旦那であるサバちゃんにバイト先で出会う。
多分このとき私の人生観が大きく変わった。
それまで20年間生きてきて出会ったこともない発想や、あまりのスーパー前向き加減にとにかく驚いたし、そんなサバちゃんに惚れてしまった。